「実現不可能」覆した世界遺産登録 仁徳天皇陵古墳 苦節16年の「プロジェクトX」

仁徳天皇陵古墳(手前)や履中天皇陵古墳(右奥)など巨大古墳が次々に築かれた百舌鳥古墳群

国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市)などで構成する「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(堺市、大阪府藤井寺市、羽曳野市)が世界文化遺産に登録され、今年で5年。「登録は絶対無理」といわれながらも多くの課題を克服し、16年かけて実現させた大プロジェクトだった。

極秘の計画

「市長から極秘プロジェクトがあるといわれた。お前にやってもらうことになるかも」

平成15年、堺市の国際文化観光部次長だった藤木博則さん(73)は、当時の上司から意味深長な示唆を受けたことを覚えている。その後、関係部署が集められ仁徳天皇陵古墳についての会議が開かれた。翌年世界遺産に登録されることとなる和歌山県の熊野古道の資料が「参考」として配布された。会議では、仁徳天皇陵の世界遺産登録の可能性についても話題にのぼったという。

藤木さんは翌16年4月、外郭団体「堺都市政策研究所」に出向。シンクタンクの一員として、自由な立場で調査研究を進めるなかでまとめた「仁徳陵を生かしたまちづくり」の報告書では、世界遺産登録にも言及した。

17年に市に戻り、新設ポストの歴史文化都市推進担当理事に就任。「世界遺産」の言葉こそないものの、登録を視野に入れて第一歩を踏み出すポストだった。

特別な事情

「応援はしていますが、絶対無理だと思いますよ」。当時、世界遺産に詳しい関係者に登録の可能性について聞くと厳しい意見がほとんどだったという。

最大の課題となったのは、仁徳天皇陵など主な古墳が、文化財保護法による特別史跡や史跡といった「文化財指定」を受けていなかったこと。当時、すでに世界遺産登録されていた国内の文化遺産は文化財指定されており、世界遺産の大前提のようなものだったからだ。

仁徳天皇陵を訪れる観光客ら=堺市

なぜ指定されていなかったのか。仁徳天皇陵古墳には特別な事情があった。

「宮内庁関係者から『生きたお墓』ということを言われるんですね」と藤木さんは振り返る。天皇や皇族の墓の可能性がある古墳は、文化財ではなく「陵墓」などとして宮内庁が管理。「文化財」ではない現役の「お墓」、皇室の財産として扱われていた。宮内庁も世界遺産登録による観光地化や環境悪化も懸念し、慎重な姿勢のように感じられたという。

藤木さんは、地元住民らとの協力態勢も構築し、宮内庁に熱意をアピール。また、世界遺産登録で保存に悪影響が出るのでなく、逆に環境整備や保全への機運が高まり、陵墓の保存、管理に寄与すると訴えた。

藤木さんたちは学術界の意見を集約することにも余念がなかった。18年春には、堺市歴史文化都市有識者会議を設置。考古学や世界遺産、都市政策の専門家たちを集め、議論を進めた。

同時に、古市古墳群のある羽曳野、藤井寺両市、大阪府との調整にも奔走した。堺の百舌鳥古墳群と羽曳野、藤井寺の古市古墳群。成立時期からいえば、古市古墳群の方が「先輩」にあたり「古市・百舌鳥古墳群」の名称もあり得た。

しかし、世界遺産登録への堺市の尽力を考えて、百舌鳥を先にしてもらうことで決着したという。「今でこそ『もずふる』の愛称で知られる両古墳群ですが『ふるもず』の可能性もあったということです」と藤木さんは笑顔で振り返った。

保存と継承

宮内庁、文化庁、府、他市、地元住民…。数えきれない関係者との調整を重ね、世界遺産は「絶対無理」から「実現可能な目標」に近づきつつあった。

19年6月に有識者会議から「百舌鳥古墳群と古市古墳群は一体的に世界文化遺産登録を目指すべきだ」との意見が示される。同年9月には、大阪府、羽曳野市、藤井寺市と共同で、提案書を文化庁へ提出した。22年には同庁の世界遺産暫定リスト入りした。

直後の推薦とはならなかったが、シンポジウムや講演会で機運を醸成し、保存状態の悪い古墳10基を候補から外したり、古墳周辺にバッファゾーン(緩衝地帯)を設定したりなど、環境整備を進めた。

世界遺産登録を喜ぶ市民ら=令和元年7月、堺市

そして、29年、4度目の挑戦で世界文化遺産登録に推薦。令和元年7月に、悲願の正式登録となった。秘密裏の調査研究が始まってから16年の月日が流れていた。

藤木さんは平成24年に市長公室長を最後に市を退職。登録決定の瞬間はパブリックビューイング(PV)会場で見守った。

「世界遺産の登録は、ゴールではなくスタートという思いでした。未来の人に古墳をつなぐためです」と振り返る。

世界遺産登録以降、古墳の保存と継承に向けた取り組みは進展をみせている。今年9月には、明治以降の仁徳天皇陵古墳と堺の人々の関わりを掘り下げる「仁徳天皇陵と近代の堺」展が堺市博物館で始まった。関西大学、そして宮内庁宮内公文書館との共催だ。

仁徳天皇陵古墳を上空から見る観光用気球は、ガスが抜けるなどのトラブルで実施が延期になった=昨年5月(堺市提供)

一方、観光面での効果は今ひとつで「物足りない」「もう少しポテンシャルがある」(堺市関係者)との声も聞かれる。市が目玉事業としていた、仁徳天皇陵古墳を上空から眺めることのできる気球プロジェクトも相次ぐトラブルに見舞われ、運行開始は未定だ。

ある市幹部は「世界遺産登録の目的は観光の起爆剤ではなく、あくまで保存と継承が目的。それに副産物として観光がついてくれば、言うことはないが」と話す。悲願の世界文化遺産登録から5年、挑戦は続く。(木津悠介)

百舌鳥・古市古墳群

大阪府南部の堺市と羽曳野市、藤井寺市にまたがる2つの古墳群。古代王権の形成期に当たる4世紀後半~6世紀前半の有力者の墓が密集。前方後円墳や円墳、方墳、帆立て貝形など200基以上が築かれ、うち89基が現存する。皇族の墓として宮内庁が管理し、立ち入りが制限される「陵墓」も含まれる。発掘調査では、刀剣や馬具などの副葬品や埴輪(はにわ)が出土。政府は、保存状態の良い49基を世界文化遺産に推薦し令和元年7月、登録が決まった。

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